世界最北の村で観測調査を続ける、犬ぞり北極探検家の挑戦

世界最北の村で観測調査を続ける、
犬ぞり北極探検家の挑戦

山崎哲秀 さん

山崎哲秀 さん
Tetsuhide Yamasaki

山崎哲秀 さん

犬ぞり北極探検家。グリーンランド北西部にある世界最北の村・シオラパルクに30年以上通い続け、観測調査を行っている。一般社団法人アバンナット北極プロジェクト代表理事。http://www.eonet.ne.jp/~avangnaq/

先住民族エスキモーから伝承された「犬ぞり」をトレードマークに、北極の観測調査を行う山崎さん。北極圏における環境観測拠点の整備や、日本との姉妹都市提携、先住民文化の継承などを目指して活動しています。その足取りと、活動にかける思いを伺いました。

過酷さと豊かさを併せ持つ、北極圏に魅せられて

――犬ぞり北極探検家として活動を始めた経緯をお聞かせください。

きっかけは高校生のとき、冒険家の植村直己さんの本を読んだことでした。植村さんといえば、世界で初めて五大陸最高峰に登頂するなど、たくさんの偉業を成し遂げた方です。その冒険の世界に引き込まれ、「僕も自然の中でなにか挑戦してみたい」と一念発起しました。アルバイトで資金を稼いでは冒険に出かけ、やがて植村さんが犬ぞりで縦断したグリーンランドに足を踏み入れるに至ります。

初めて体験するマイナス30〜40度の世界。あまりの寒さに恐怖を覚え、何もできずに日本に逃げ帰りました(笑)。しかし、この過酷さを肌身で知って、かえって憧れが募ったのかもしれません。翌年以降も北極遠征に繰り出すことになります。

どこまでも広がる雪と氷の世界。命の危険を感じるほどの寒さのなか、何千年と暮らしを営み、文化を育んできた先住民族エスキモーの存在。シロクマやアザラシ、セイウチ、トナカイなどの動物が数多く生息する、生命力に満ちた世界でもある。知れば知るほど、北極に魅了されていきました。

北極は「地球上で一番自然環境の変化が現れやすい」と言われ、気象観測や研究を行う上でも非常に重要な場所。遠征を重ねるなかで研究者と知り合い、僕自身も観測調査に加わるようになっていきます。同じ頃、エスキモーから犬ぞり技術を教わり、「犬ぞりを使って広い範囲を動き回りながら、観測調査に携わる」という活動のスタイルにたどりつきました。

――現在の活動について教えてください。

毎年冬の間は、グリーンランドにある世界最北の村・シオラパルクに滞在し、気象や海氷観測を行っています。計12ヶ所ほどの観測地点を1日1ヶ所訪ね、データをとって記録する。これを毎日繰り返します。
同時に、この地を訪れる研究者のサポートもしています。「あの地点に行きたい」と言われたら、犬ぞりに乗せて案内することも。北極では寒さや野生生物などのリスクがつきものですし、交通手段も限られます。安全に活動するためのノウハウと、広範囲を移動できる犬ぞりが役に立つんです。

――エスキモーから教わった犬ぞりとは、どういうものですか?

エスキモー犬という犬を扇型に繋ぎ、合計十数頭でチームを組んで、そりを引かせるんです。一頭一頭に個性もあれば相性もあるので、集団でうまく活動できるよう、組み合わせにはとても気を使っています。

この犬種の特徴は、とにかく馬力があるということ。たった十数頭で1トン近くの荷物を引くことができます。氷の状態がよければ5〜6時間で40〜50km移動できますし、シロクマの気配もいち早く察知し、吠えて知らせてくれる。排気ガスを出さない「究極のエコカー」でもありますから、環境調査にもふさわしい。頼もしい相棒であり、ともに生きる大切な家族です。

――北極に通い始めてから現在までに、環境の変化は起こっていますか?

以前より海氷ができにくくなったり、薄くなったりしています。忘れもしないのは、特に暖かかった2007年。犬ぞりを走らせていたら、海氷が突然割れてしまったんです。僕は間一髪で陸地に逃げ込みましたが、13頭の犬ぞりチームは海に流されてしまった。温暖化の影響を身を持って知ることになりました。魚の分布も北上していて、もっと南の海域に棲んでいたタラ類やシシャモ類が獲れるようになっています。

でも、考えることがあります。この異変は、北極の人たちにとって悪いことなのだろうか? 海が凍らなければ、冬でも船を出して漁ができます。狩猟中心の生活から都市生活へと移行していますから、暖かい方が何かと暮らしやすいこともあるでしょう。一様に問題視できないのが、温暖化の難しさでもあります。

濡れた毛皮が凍りつく、マイナス30〜40度の世界で

――北極圏では、どのような防寒対策をしていますか?

以前は、エスキモーの伝統的な防寒具である毛皮を身につけていました。トナカイの上着に、シロクマのズボン。とても暖かいし、湿気がこもらず着心地もいい。現在は特注の防寒ウェアを着ていますが、手足はどうしても冷えやすいので、靴と手袋だけは毛皮に頼っています。

普段使っているのは、アザラシの皮のミトンです。しかし毛皮は水に弱く、観測作業で海水に触れたりすると、たちまち凍りついてしまう。そこで、観測の際は「防寒テムレス」につけ替えます。

〈海氷の厚さを測定するために、アイスドリルで穴を開ける〉

それまで使っていた防寒手袋は、極寒冷下では生地がカチカチに硬くなり、使いづらいばかりか割れてしまうこともありました。やむを得ず、素手で作業することもあったほどです。でも、この「防寒テムレス」はマイナス数十度でも柔らかいままだし、フィット感もある。指を自由に動かせるので、ドリルで海氷に穴を開け、メジャーで測定し、ペンで記録するという一連の作業もスムーズです。耐久性も十分。もう3シーズンほど買い替えずに使っています。

――「防寒テムレス」は、どのようなきっかけで使い始めたのですか?

数年前、作家で探検家の角幡唯介さんが日本から持ってきてくれたんですよ。使い勝手が良いので、あっという間に評判になりました。今やシオラパルクの商店でも売られていますし、幅広いシーンで重宝されています。例えば冬場のアザラシ漁では、海氷に大きな穴を開け、海中に網を仕掛けて、アザラシがかかったら引き上げるという作業があります。従来は素手で行われていましたが、もう皆「防寒テムレス」を使っていますよ。

北極と日本をつないで、観測と交流の未来を描く

――1年の半分は北極に、半分は日本に滞在されていますね。日本での活動を教えてください。

講演会や展示会などを通して、北極の暮らしや環境問題について紹介しています。特に伝えたい相手は、やはり未来を担う子どもたち。子ども向けのお話し会なども行っていますし、そり引き犬をテーマにした絵本を書く構想もあります。まずは北極という世界を身近に感じてもらい、それを入り口にして環境にも目を向けてもらえたら嬉しいですね。
温暖化の解明には時間がかかり、僕たちの世代で答えを出せるものではありません。この活動を次世代につなげていくのも僕の役割だと思っています。僕自身も植村直己さんの本がきっかけで今に至っていますので、いろいろな種を蒔いていくつもりです。

――これからの活動の目標を教えてください。

北極に日本の観測拠点を設置したいと考えています。日本はすでに世界トップレベルの南極観測を実践していますから、北極でも同水準の体制を整え、地球の両極で環境活動をリードする国になっていくことを期待しています。

また、グリーンランドと日本の地域の姉妹都市提携や、エスキモー文化の継承にも取り組んでいます。2つの国が近づけば観測活動がさらにスムーズになり、それによって交流もまた深まるという好循環が生まれるはず。どういう形で実現できるかはまだ分かりませんが、僕自身も楽しみにしながら、挑戦を続けていきます。

(2022年5月20日取材)

●「エスキモー」は差別用語にあたるという見方が広まっていますが、山崎さんは30年以上にわたる先住民との交流の中で「エスキモー」は差別語ではないと知り、尊敬の念を込めてこの呼び方を使っています。本記事では山崎さんにならい、「エスキモー」という呼称を使用しています。

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